ちいさな洞窟

娘との日々

ハナミズキ

この季節に街路を歩くと、さまざまな花が咲いていることに気がつきます。今朝は満開のハナミズキの木を見かけました。さわやかな太陽のひかりがふりそそぐなか、歩いて通勤する道のとちゅう、それぞれ民家の庭と小さな公園の樹木のなかに、そのハナミズキはありました。淡いピンクと白の花びらが、きれいに咲いています。

 

近所にある高校の生垣に住む猫に会いに、夕方、いっしょに散歩した話を以前、書きましたね。その生垣のよこには、ハナミズキが街路樹として30メートルくらいにわたって植えられていて、やはりこの季節になるときれいに咲いていました。

 

そういった花々を見かけるとぼくは足をとめ、抱っこひものなかにいるあなたに声をかけ、一緒にその花々を観察しました。あるいは手をつなぐあなたと一緒に、その花を触ってみたりしました。とてもしあわせな時間でした。

 

さて、ぼくがこれまで書いてきたことは、あなたを巡る、あなた自身の物語です。あなたが将来、自らがどういった人物なのかを知りたくなったとき、ぼくが書いたこのブログが少しでも役にたつように願っています。ここに書いたのは、あなたが経験してきたさまざまなこと、あなたが過ごした時間のこと、あなたが出かけたいろんな場所の話です。そして、登場人物は多くはないけれど、あなたはすでにこの社会のなかのひとりのメンバーとして、確固とした位置にいます。それらが、いま、あなたをかたちづくる要素のひとつになっているはずです。

 

ぼくがあなたと過ごすなかで思い知ったのは、幼児(子ども)は未熟な存在ではない、ということです。まだ、か弱い存在ではありますが、ひとりの人間としての、ある完成された意思をあなたのなかに何度も見ました。あなたが日々、表現していたことは、大人のそれとくらべてもまったく引けをとらない、充実した意思と言えるものでした。

 

どうやら、子ども時代というのは、単に、大人にむかっていくための段階や過程ではないようです。子どもは子どもとして、とても平衡(バランス)しています。そういった意味で、ちーちゃんに未熟さを感じることはありませんでした。

 

今日はひとつ父親らしいことを言います。

ちーちゃんは、いまできることに存分にチャレンジしてください。

大人がやるようなことは、大人になってからやればいいと思います。