ちいさな洞窟

娘との日々

地球

3月のブログでも書いた通り、ちーちゃんが生まれた年に英語の勉強を始めました。初めの年は駅前の学校(イーオン)に通い、2年目からはレアジョブという、オンラインの英語レッスンを週2回ほど受けています。いまはレッスンといっても、スモールトーク(世話話、雑談)をしているだけなので、勉強という感じはなく、かなり気軽なものですけどね。そしてこの2か月間は、新型コロナウイルスの話で持ち切りです。

 

もしかしたら「レアジョブ」にはピンときたかもしれませんね。そうです。ちーちゃんもレアジョブのレッスンに、いつも少しの時間ですが、たびたび参加しました。ぼくがレッスンを受けていると、隣りの部屋からススッとぼくに寄ってきました。そしてぼくの膝に乗ったり、背中に寄りかかったりしながら画面に入り、照れながらも先生に「ハロー」とあいさつしましたね。はにかみながらあなたが発する「ハロー」は、ほんとうは英語でもっといろいろと話してみたい(でもまだできない)というあなたの感じるもどかしさを含むような「ハロー」でした。先生がたは画面に映るあなたを見て「Pretty!」「Cute!」と言ってくれましたね。外国にいる外国人との交流が、自宅の居間にいながらできるなんて、時代は変わりました。

 

(さて、またちょっとむずかしい話になりそうです。) このかん、わたしたちの標語になった「Stay at home」は、日本では市民による自制や規範意識(discpline)をベースに行う「外出自粛」という意味になるかと思いますが、レアジョブの先生がたが住むフィリピンでは政府による厳しい命令(order)が下されたため「外出禁止」という意味合いとして使われています。彼らの生活は、日本よりもだいぶ強い制限を強いられています。ただ、厳しい状況に変わりはなく、日々の仕事や商売はもちろん、買い物や運動もままならないということは同じです。遠い国であっても、このウイルスの影響のもとに生活することの困難さには、共通のものがあるということを、英語のレッスンを受けるたびに実感しています。


宇宙船地球号」という言葉があります。地球を、限られた資源しか持たない宇宙船に例えた言葉です。限りある資源、有限である自然環境の汚染、核戦争の危険性…そういった側面からみると、地球上に住む人類はみな運命共同体です。今回のパンデミックも、人類共通の問題という意味で、ぼくにこの宇宙船地球号という言葉を思い出させます。感染症の蔓延という中世以前からの課題は、いまやひとつの国や地域だけに固有なものではなく、共同体としての地球人類全体で対処するものなのです。

 

そういったことを考えるとき、ぼくはどうしても「地球はどうしてこんなに狭いんだろう」と思わずにはいられません。ぼくが子どものころ、地球というものは、いまよりも、もっともっと大きなイメージで語られるものだったと思います。ぼくらが一生かかっても冒険しつくせない、未知の領域を多く残した、この惑星。それが地球でした。

 

それがいまや、輸送や移動の時間短縮や、人口爆発、資源と食糧、水の不足を理由に、狭い場所、狭い空間として語られることが増えてしまっています。ウイルスが瞬く間に広がってしまったことも、その語られ方に拍車をかけると思います。

 

狭い地球。なんだか悲しいです。暗い気持ちにもなります。これからちーちゃんが歩んでいく人生の舞台が、その狭いイメージの地球では、あまりにネガティブです。

 

だけどぼくは、その「狭い地球」に対抗するするイメージも、持っています。それは「井戸から出られないときは、井戸を下に掘っていく。すると地下水脈に行き当たり、その水脈は広大な海に通じている」というものです。

 

いま語られる「狭い地球」に囚われていては、つまらないです。「狭い地球」も、堀り下げようによっては、どこまでも未知の領域をぼくらに表わし続けるはずです。ちーちゃん。いっしょに、「狭い地球」を広々としたフィールドにする方法を、探っていきましょう!

 

今日、東京の緊急事態宣言が解除されそうです。
あなたに会える日まで、もう少しです。

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地球儀。5歳の誕生日にプレゼントしたものです。使ってね。