〇〇〇〇 さま(ぼくの名前)
たべものはんばあぐせと
おとな1めーさま
昨夜、思いがけず、あなたの書いた文字が目に飛び込んできました。久しぶりに開いた本のあいだに、ちーちゃんの字が書かれた紙が挟まっていたのです。それはまったく予想していなかったことで、その文字が書かれた紙をみて、ぼくは一瞬で胸がいっぱいになりました。
数日前には、ちがう本のあいだから、ちーちゃんが作ってくれたしおりが出てきたばかりです。そのときと同じようなことが起きたのにも関わらず、きのうのぼくは、前回よりもいっそう強く、胸を打たれました。
その、見たことのない紙は、本棚に積んである英語の句動詞に関する参考書に挟まっていました。それは、レストランで店員さんが書く「注文伝票」のようでした。「ほんとうにちーちゃんの書いたものなのかな?」と疑ってしまうほど(誰か年上の子どもが書いたものが偶然、ぼくの本に入っていた? いやそんなわけないですよね)、よく書けています。これほどしっかりとした文章で、あなたが「注文伝票」を作っていたなんて、ぼくは知りませんでした。だからこそ大きくぼくの胸を打ったのかもしれません。
それにしてもよく書けています。レストランのシーンを再現するおままごと遊びを一緒によくしましたが、その演技のなかで覚えた台詞を、ちーちゃんが文字として書き付けたものだと思います。すばらしいです。
この参考書を買ったのは「2019年7月23日」と、本にぼくのメモがありました。買ったあとしばらく、ときどき開いて眺めては、床や机に置き放していたので、そのときにちーちゃんが、この紙を挟んだのでしょうか? その様子を想像すると、クスッとなります。
ぼくはこの注文伝票をみて、胸を打たれると同時に、胸がいっぱいにもなりました。これは言葉上の表現として「胸がいっぱいになる」と形容しているのではなくて、ほんとうに、実際に、胸のあたりがギュウといっぱいになるのです。すこし頭のほうもクラクラしたほどです。
どうも、ありがとうね。ちーちゃん。
「演出家」ちーちゃんについては以前ここに書きました。→