11月、一緒に「クマール」のカレーを食べましたね。ちーちゃんは、いつものように大人と同じサイズのナンとカレールーを注文しました。あなたは3歳頃からはずっと、カレーでもパスタでもなんでも、外食のときは子どもサイズではなく、大人と同じものを食べていますものね!
そのクマールでは、ちーちゃんは途中から、食べることよりも、おしゃべりに夢中になっていくようでした。だんだんと食べる手がゆっくりになり、最後はほとんどテーブルに関心が向かないかのようでした。
あれ?と思って、「ちーちゃんは、もしかしてお腹がいっぱいかな」と聞くと、「うん、いっぱい」とあなたは答えました。子どものお腹に収まるにはずいぶんと大きいナンだったので無理もありません。
いま、そのシーンを思い返してみて、そういえば、10月の昼食でも同じように、あなたはお皿のチキンを半分ほど食べてお腹がいっぱいになったことを思い出しました。そのときもあなたは、「ごちそうさま」となかなか言い出せないようで、モジモジしていたような気がします。
いま思うと、あれは(ぼくに対する?)「遠慮」だったのでしょうか。食べ残すことが気まずくて、食事が終わったことをなかなか言い出せなかったかな?
食べ残すことが気まずい、という感覚はとても大事なことだと思います。たとえば、調理してくれたコックさんに申し訳ないと思う気持ち。食材になった動物や野菜などへの配慮(「もったいない」)。そういった申し訳なさや配慮が、ちーちゃんの「気まずさ」を生んでいるのかもしれません。そしてそれは食べもの全般への感謝の気持ちがあるからこそ持てる感覚だと思います。とても大事な感覚です。
そしてそのうえで、ぼくはこう感じます。ちーちゃんは、ぼくのまえでは、なにも遠慮しなくていいんだよ。「良い子」でなくてさえ、いいんだよ。ぼくのまえでは自然体で等身大のちーちゃんでいてね、と。