ちいさな洞窟

娘との日々

6日間の夏休み その1

 

いっしょにすごした6日間の夏休み、たのしかったなあ。ちーちゃんはどうでしたか? ぼくは、ちーちゃんの笑顔をたくさん見ることができました。ついでにばぁばの笑顔も。それはぼくにとって大きな喜びだということをあらためて認識しました。

 

じぃじばぁば宅や旅行先では、みんな、とことんリラックスできたらいいな、と思って臨んでいます。行儀のこともうるさくは言わないようにしています。というのも、こんな記憶があるからです。ぼくは子どものころ、田舎に行くと、おおじぃじとおおばぁばはとことんぼくの好きなようにさせてくれました。就寝や起床時間をとやかく言われたことはありません。お手伝いや宿題のことなどでなにか言われた記憶もありません。ただぼくの興味をひくように、畑作業に連れ出してくれましたし(操縦のむずかしい耕運機も動かしました)、犬の散歩や近所での買い物にも手を引いて連れていってくれました。だから田舎ですごす時間はとても気楽で、ふだんの細かいことは忘れて、おだやかにぼーっとすごすことができました。

 

行きたいところに行けばいい、食べたいものを食べればいい、やりたいことをやればいい。100%、ちーちゃんの思い通りにできればよい、というのがぼくの気持ちの中心にあります。いっしょに暮していないぶん、会ったときはとことん甘えさせてやりたいと思っています。

 

ちーちゃんはいま野菜が苦手ですね。親心としては野菜も含めていろんなものを食べてほしい。それでも、好き嫌いのことをうるさく言う前に、食事の時間をたのしんで心の栄養をたくさん取ってほしいなと思っています。宿題も、今回、ちーちゃんは何も言われなくても机に向かってやっていました(採点はじぃじがしてくれましたね)。おお、えらいなあと思いましたが、ただ、ぼくの本心は、旅行先でやらなくても夏休みのさいごの3日間とかにまとめて家でやればそれでいいのではないか、というものです(もちろん積極的に宿題をすることは良いことだと思います)。


なんでも甘やかしすぎるとわがままな人間に育ってよくないなどと世間では言うけれど、しかし時間や金銭の制約のもとで、100%、思い通りにすることは現実にはむずかしいです。つまり、甘やかせすぎというのは現実には無理だと思うのです。ただただ、以前からぼくの気持ちは「とことん、ちーちゃんの好きなようにする」です。

 

ぼくの役割は、ちーちゃんがあたらしいことにトライできるように背中を押すこと。それもつよく促すのではなく、何かをいっしょに楽しむなかで、目の前に、ゆるやかに道がひろがっていくというふうにイメージしています。

 

さて今回、実は、りんどう湖にあるハンバーガー屋での一件を反省しています。あらかじめ予定していた宝石探しのテーマパークが大混雑していて入れなかったため、残念でしかたなくて大泣きする助手席のちーちゃんをなだめつつ偶然見つけたテディーベアの美術館を楽しんだあとに向かった、りんどう湖です。りんどう湖そのものでは時間の都合でまったく遊ばず、単に湖畔にあったハンバーガー屋にランチのため入ったのでした。円卓の座席に座ったとき、余った椅子の上に、ちーちゃんは肩に掛けていたポシェットを置きました。お絵かきノートやペン、(ちーちゃん自身の)お財布が入った、紫色の大事なポシェットです。

 

ぼくは「そこに置いたら忘れそうだから、その(自身が座った)椅子にかけておいたほうがいいよ」とおそらく2度ほど言ったと思います。それでもちーちゃんは取りあわず、そのまま円卓脇の椅子の上に置いたままにしておきました。

 

大好きなフレンチフライを残すほどお腹いっぱいになり、帰路につこうと、店を出てそのまま歩いて3、4分ほどの駐車場に止めてある車に乗り込んだところで、そのポシェットがないことにちーちゃんは気がつきました。

 

そしてぼくは、店を出るときに荷物の確認をすることをすっかり忘れた自分自身を棚に上げ、「だから言ったじゃん」「ひとりで取っておいで」などと言ってしまったのです。歩いて3、4分ほどではありますが、車の往来のある駐車場でひとり歩けるはずがありません。泣き出したちーちゃんはか細い声で「いっしょに取りに来て」と言いました。ぼくはポシェットをとりにお店に戻るあいだに、「勉強になったね。聞く耳をもったほうがいいよ?」と言いました。ちーちゃんはうなづいていたと思います。

 

これは厳しすぎました。大人であってもお店に物を忘れるのはよくあることですし、忘れてしまってショックを受けているのはちーちゃん本人です。ぼくの「だから言ったじゃん」は、瞬間的で衝動的な反応でした。また、小2の子どもに「聞く耳をもったほうがよい」も難しいことだと思います。ちーちゃんならぼくの言いたいことは十分に理解できることだとは思いますが、でも「旅先ではとことんリラックスしてすごす」からは程遠い対応となってしまいました。

 

このハンバーガー屋でのポシェットのことはひとつの象徴的な事件であると感じています。もしかしたら記憶からはみじかい時間で消えてしまうかもしれないけれど、他にも似たようなぼくの言動、態度は、いっしょにすごしているとあちこちに見出すことができそうです。具体的な事実としては記憶から消えたとしても、一方、都度感じる小さな後悔たちを少しずつ内面に溜めている自分が確実にいます。

 

さてお店でポシェットを無事に見つけたちーちゃんは、そのあとすぐにいつもの明るいちーちゃんに戻り、何もなかったかのように何かちがうことをおしゃべりしだしました(ぼくは胸がホッとしたのを覚えています)。ちーちゃんの手をぎゅっと握って駐車場に行き、あらためて、日差しに照らされてサウナのように熱くなった車に乗り込みました。それから、ちーちゃんも夢中に鑑賞することになる、藤城清治さんのステキな影絵をおさめた美術館に向かいました。